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元晴氏 Interview

5大陸・33ヵ国において、ジャズシーン、クラブシーン、メジャーシーン、大型フェスなどを舞台に世界中を走り続け、唯一無二のプレイスタイルで世界を魅了するサックスプレイヤー 元晴氏。その経歴や現在の活動、また愛奏する〈ユリウス・カイルヴェルト〉のサクソフォーン“SX90R”について、お話を伺いました。(取材:上原章)
 

真摯に向き合ったとき、不思議な力が働く

 
  元晴さんがサックスをはじめたキッカケは?
元晴(敬称略) 僕が小学5年生のときに、姉が所属していた中学の吹奏楽部の演奏をたまたま見に行く機会があったんですよ。僕らの子供のころって不良漫画が流行っていた時代で、 吹奏楽部の男子はみんなリーゼント、女子は長髪パーマの茶髪で長いスカートを履いていて(笑)。そんな中で、姉が堂々と演奏してる姿がカッコよくて、見た瞬間グッと引き込まれてしまったんです。自分が立ってた位置もはっきり覚えてるぐらい、その一瞬で「SAXやりたい!」って気持ちになりましたね。
 
  最初の憧れのプレイヤーがお姉さんだった?
元晴 そうですね。それで、家に帰ったあと姉に楽譜を見せてもらったら、何も書いてない4小節に『ad-lib.(アドリブ)』とだけ書いてあった。そしたら姉が「ここは自分で自由に吹いていいんだよ」って。よくわからなかったけど、凄いことしてるのだけはわかって。そこからは夜寝るときはヘッドフォンをして、サックスの音楽を聴きながら寝てました。
中学校に入学してすぐに吹奏楽部に入るんですが、当時、木管楽器は女子が担当、男子は金管楽器と決まっていると。でも僕の中ではもうサックスしかなかったし、困惑していると、見かねた先生と先輩が教室の奥に消えていって……。数分して出てくるなり「サックスやっていいよ」って言ってくれたんですよ。もしかしたら、姉と入れ替わりで入部したので、姉の存在も考慮してくれたのかもしれない。姉は影響力の大きい人でしたから(笑)。いずれにしても、そういう決断をしてくれた先生や先輩には感謝しています。その決断がなければ今の自分はいないですから。でも今思うと、図らずも当時からLGBT問題に切り込んでましたね(笑)。
 
  バークリー音楽院に行こうと思われたきっかけは?
元晴 高校2年生のときに、「バークリーサマーセミナー in JAPAN」っていう企画があって、そのオーディションに受かって参加したんです。その最終日に先生方の演奏会があって、そのステージを見たときに、明らかに今クッキングしてる、ステージ上で作ってるっていうのが伝わってきて。今まで自分がやってきた音楽は、練習で100%に仕上げて、本番で100%近く出すものだったけど、ステージ上で120%以上のものを出してることに感動しすぎて、もう大泣きですよ。音楽を聴いて初めてあんなに泣いた。恥ずかしくなって、周りを見たら、みんなもガン泣きしてる(笑)。それだけ素晴らしい演奏だったんだなと改めて思って、その先生に習ってみたいと思いました。でも一旦は日本の音楽大学に入るんですよ。学校の先生にも興味はあったから、日本の音大に行けば教員の免許も取れるとも思った。でも音大生活は想像以上に楽しくて、自分はこのままだと4年間遊んでしまうなと思って半年で辞めました。目の前の楽しいことや教員免許という逃げ場をなくして、プレイヤーに進む道しかないように自分を追い込んだんです。それでバークリーに行くために仕事に就いて、100万ぐらい貯めたけどあと300万以上必要だった。そこで競馬に賭けて、300万勝ったんですよ(笑)。それで会社のボーナスも含めて、全部で500万弱になってバークリーに行きましたね。
 
  競馬で300万!(笑)それがなければと考えると、何かが「バークリーに行け」って背中を押してくれたのかもしれませんね。
元晴 そんなことって普通あり得ないんですよ。やっぱり本当に人が何かと真摯に向き合ったとき、不思議な力が働いてくれるんですよね。明らかに僕の力じゃないですよ。すごく大きな力が応援してくれたと思います。
 
元晴氏
 

音楽は総合エンタテインメント

 
  学生時代を通して、元晴さんが学んだこととはなんでしょう?
元晴 僕は中学3年の時に、「自分は一生サックスを吹いていくんだな」って悟ったというか、メッセージが来たというか。“すべての出来事は音楽のための経験”という考え方になったんですよ。中学のときは、元旦の日以外は毎日欠かさず練習したんですけど、ミュージシャンになるにはいろんな人の気持ちをわからないと駄目だと思って、高校では「しっかり遊ぶ」って決めたんです。だから自分とは違う気持ちや考え方が見つかるたびに嬉しかったし、今でも当時の友だちが喜んでくれるような音楽をやりたいっていう想いが根底にあります。ボストンに行って勉強になったのも、先生から学んだことよりも、同期の仲間から学んだり影響を受けたことが大きかった。仲間から受ける刺激や発見がモチベーションになったし、経験になりましたね。だから学生時代の仲間の存在がすごく大きいです。
 
  帰国後、元晴さんは「SOIL&”PIMP” SESSIONS」というバンドでメジャーデビューし、世界の音楽シーンに影響を与えるまでになりましたが、20年前の日本の音楽シーンはどうでしたか?
元晴 当時、日本で心から音楽を楽しんでる人たちが集まるジャズ箱ってなかったと思う。「ジャズとはこういうもの」という固定概念だけがあって。よく「ジャズは敷居が高い」って言い方をされたんだけど、敷居が高いんじゃなくて誰も跨ぎたくないだけだったんですよね。でもアメリカのジャズはそうじゃなかった。仕事が終わったら友だち誘って、お酒飲みながら、週に2回も3回も足を運ぶんですよ。それが日本だと年に1回、ブルーノートに気合いを入れて聴きに行くみたいな感じになる。僕はアメリカのジャズのあり方を見てしまったから、もっと生活に深く入り込んだ音楽を日本でやりたかった。バークリーを1年休学して帰国したときに日本のジャズシーン見て、魅力を感じなかったからこそ、卒業後に日本でやりたいことが見つかったと思ったんですよね。それで日本に帰ってきたら、自分と同じ思考の人たちがいた。SOILのメンバーもそうだし、PE’Zの大山くんや、EGO-WRAPPINもそうだけど、同時多発的に同じ思考の人たちがいたから、“管楽器ブーム”、“インスト音楽ブーム”という形にまで発展したんだろうなって思います。でも当時の日本って、管楽器やってる人が自信を持って「俺、サックスやってるよ!」って言えない風潮があったんですよ。吹奏楽やってる、管楽器やってる、ダサって空気になる。まずそこを変えたかった。だからファッションから変えようと思いました。僕はファッションは好きだったけど、センスがないからまず最初にスタイリストをつけて。それもあって僕らのセッションには、美容師だったりカメラマンだったり、クリエイターの人たちがいっぱい来てくれたんですよ。「あそこにはオシャレなお兄さんお姉さんが集まってるよね」って噂にならないとカッコいいお兄ちゃんお姉ちゃんが来ないじゃないですか。どれだけ自分がサックスを一生懸命頑張っても、人が憧れを感じなければサックスやろうって感じてくれない。
 
  意図してやられてたんですね。
元晴 才能に溢れる人が数ある選択肢選択肢の中からサックスのプロの道を選ぶ事ができる明るく夢のあるイメージとマーケットの拡大は自分たちの世代の仕事だと、デビュー前から意識してました。つーじー(辻本美博)や更に下の世代を見た時に、間に合ったな!成功したな!という思いで、感慨深いです!
 
  当時からずっとセルフプロデュースされてこられた。
元晴 自分の正義や常識を通さないと、いくらでも潰されるって思ってましたから(笑)。でも自分が思い描いてたことに自信があったから突き通せたよね。あとはやっぱり仲間がいたってのが大きいですね。
 
元晴氏
 

苦労を選んだ者が本物にたどりつける

 
  元晴さんは若手プレイヤーの研鑽の場として『BATTLE OF STUDY』というジャムセッションを主催され、辻本美博さんや安藤康平さんをはじめ、King Gnuの勢喜遊さん、新井和輝さんなど今やメジャーな活躍されていますよね。このセッションを立ち上げた経緯は?
元晴 モチベーションが高く覚悟が決まってるけど経験が浅い若者を引き合わせただけ。そうすれば僕がボストンで経験したみたいな化学反応が自然と起こるだろうなって思った。勢喜遊と辻本美博は初めて会った時から輝いていた。演奏は聴いてなくてもその行動と性格から明るい未来が見えた。安藤康平は自信と共に焦りと不安を抱えていた。
『BATTLE OF STUDY』って、毎回その日のMVPを、最後に発表するんですよ。「勉強の戦い」っていうタイトルのセッションだけど、僕の中では戦わないやつがその日の勝者と決めてた。
 
  それはどういうことですか?
元晴 周りを敵だと思って技術を競い合うんじゃなくて、みんなでその場のパーティを 「Makeする(作る)」っていうのを一番理解した者が勝者。最初はそれが理解できていなかった人も回を重ねて、だんだんと周りを見れるように成長していった。1番の上昇株はKing Gnuでメジャーになった勢喜遊と新井和輝だよね。あそこまで一気にスターになったのは初めて見たよ(笑)。
 
  上昇志向があって、自分の意思であの場に積極的に参加した人はみんな今活躍されてますよね。
元晴 全員つづけてるし、全員活躍してるよね。実は『BATTLE OF STUDY』より前に『東京宣言』っていうのをやってて、それは辻本のために企画したセッションだった。彼は、僕が以前から横浜でやってたセッションに、大阪から通ってたから「コイツ本気だな」と思って。だから自分が持っている知識や見ている世界全部を見せようと思って立ち上げたんだよね。東京宣言には毎回200人近いミュージシャンが集まって、Dragon Ashのメンバーがライブ終わりに来て本気のセッションをしてくれたり、役者業を辞めたばかりの山本太郎さんが『Change the World』をバックに即興で演説してくれたり、プロアマの境界線がない、世界でも最大のジャムセッションだったんじゃないかな。安藤康平もそのセッションの第一回から、名古屋から通って来てました。今は無料のものが溢れてる時代だけど、苦労してお金払ってでも来た者が真実にたどり着けるよね。
 
元晴氏
 

既存の価値観を壊して、新しいものが生まれる

 
  現在は、『Rhythm’s “Kings”』という新たなセッションを主催されてますが、これはどんな経緯ではじめたんですか?
元晴 去年、あるヒップホップの大会でバックトラックを生演奏することになったんです。そのときにお客さんが手拍子を一拍目に打ってでノっていて、ラッパーもちゃんと音楽にノレてる人より勢いのある人が勝ち残っていく。それを見て、南米で寿司を見たときと同じ感動を覚えたんです。チリってハンバーガー屋があちこちにあって、クリームチーズだけの細巻きの寿司が売られてるんですよ。日本の寿司が少し形を変えて、地球の反対側で生活に根ざしたファストフードになってる。ヒップホップも「日本のヒップホップ」としてこの域まで来たんだな、凄えなって思った。でもだからこそ、新鮮な握り寿司も知ってもらいたいじゃないですか(笑)。それを知っている以上、自分にはちゃんとしたブラックミュージックのリズムを伝える義務があると思った。正直、誰もそこに触れられないくらい成熟した域にまで来てるんだけど、これから絶対有名になると注目してるバンドがあって、ベースのノリ方を変えたら、それを見た若い子らも真似して変わっていくだろうなと思ったから、改めてもう1回触れようと。そんなノリを教えたい一心ではじめたのが『Rhythm’s “Kings”』です(笑)。これは「リズムの王様」って意味じゃなくて、「Rhythm is King」、つまり「リズムこそが王様」っていう意味。どれだけ音が汚くても、どれだけピッチが悪くても、リズムが良ければカッコいいからね。
 
 
  メジャーデビューした2000年から、活動20周年を振り返って、今感じることは?
元晴 日本カルチャーの世界からの注目。いろんな幸運が重なりましたけど、デビューして2年後に、自分たちの音楽が世界中に届いた。それこそがやりたかったことだから、「想い」があって、「時」が来たら、物事は一気に進むんだと学びました。でもそこからは既存の価値観との戦いの日々でしたね。日本には、過去に成功したそれまでの価値観というものがあって、それが邪魔をした。かたやバークリー時代の同級生で、イスラエルや韓国に帰っていった友だちは、母国の音楽シーンをすぐに盛り上げることができた。なぜ彼らはできたかっていうと、既存の価値観がなかったからできたんですよね。韓国の音楽シーンがいい例ですよね。でもあれから20年経って、実力以外のしがらみの中で仕事をやりすぎてきた日本が、いい加減その姿を保てなくなってる。そして、それをぶっ壊せるぐらいの力を持った10代が今凄いんですよ。僕から見たら10代の彼らはもうAIだよ(笑)。MOMOくんっていう11歳のドラマーがいるんだけど、僕の中で彼はもう日本一のドラマー。
 
元晴氏
 

楽器選びは吹いた瞬間に決まる

 
 
  元晴さんは長年〈ユリウス・カイルヴェルト〉の”SX90R ブラックニッケル”を愛用されてきましたが、その出会いは?
元晴 出会いはもう10年以上前だと思うんですけど、この楽器に出会うまで、テナーサックスの音を自分が出すイメージがなかったんですよ。アルトでテナーの音を出せてると自分では思ってたから(笑)。でもあるとき、店頭で〈ユリウス・カイルヴェルト〉の”SX90R ブラックニッケル”モデルが並んでるのを見て、「綺麗な楽器だな」って思った瞬間に、はじめて自分がテナーを出す音がスッとイメージできたんです。それで吹いてみたら、そのイメージと同じ音が出て、それ以来気に入ってずっと使ってきました。
 
  最近、そのブラックニッケルからシャドウに変えたとお聞きしましたが、なぜ変えたんですか?
元晴 サックス選びって、出会いみたいなもので、1回吹いて決まるんですよね。シャドウの選定をしたときに、持っただけで完璧な楽器があって、実際吹いても完璧だったので選定書も書いたんです。でもその後で、触った感じちょっと調整が甘そうな楽器があって、でも「吹かないのはかわいそうだから…」くらいの感覚で吹いてみたら、見た目と全然違った(笑)。吹いた瞬間の音色の響きに恋をしちゃいましたね。
 
  ブラックニッケルとシャドウの違いは?
元晴 吹き比べて、音のダイナミクスはどちらも大きいですけど、音色が違いますね。レコーディングで使ったときにその違いを強く感じました。シャドウは透明感があるんですよ。ブラックニッケルはワイルドさというか、適度な雑味が魅力なんですけど、シャドウはそれがまったくない。響きが凄くクリアなんです。雑味とか色味って吹き方で後から足せますけど、クリアさは足せない。だから今まで使っていたモデルから変えてでも使いたいって思いましたね。特に今回のレコーディングは綺麗な曲が多かったので、シャドウの音色が合いました。
 
  ブラックニッケルシルバーの管体に、ブラックニッケルめっきをかけて、さらにクリアラッカーをかける仕様が、そのクリアな音色を生み出す秘訣なのかもしれませんね。しかもこのルックスは唯一無二ですよね。
元晴 見た目もカッコいいよね。この楽器重そうに見せますけど、実は持つとブラックニッケルモデルより軽いんですよ。軽いんだけど、硬い。僕の吹き方って、ネックに負荷がかかるから曲がりやすいんですけど、そういう心配がない安定感もシャドウの魅力ですね。
 
元晴氏
 

すべての経験は未来に繋がっている

 
  元晴さんにとってサックスとは?
元晴 バークリー時代に、実技の試験結果に納得いかないことがあって、ある先生に「元晴、お前はなんで今まで音楽をつづけてこれたんだ?」って言われて。自分が一番得意なものだからって答えようとしたら、「Because it’s fun! だからだろ?」って(笑)。それが答えで、やっぱ楽しいからかな。楽しいからつづけてこれたし、その“楽しい”を磨きつづけたから、同じように磨きつづけた人と出会えた。サックスを通して自分に自信が持てるようになったから、同性愛者であることもカミングアウトできた。だから自分の原動力でもあり、自分を高みに連れて行ってくれるパートナーだね。
 
  最後に、これを見た次の世代にメッセージを一言。
元晴 苦労は買ってでもしろっていう言葉があるけど、どんなつらいことでも、今している経験はすべて未来に繋がっていると思って、全部音楽に落とし込めばきっと耐え凌げる。だからすべての経験を大切に。「Better days ahead」、人生のピークは先にあると思って生きてください。あとはギャンブラーとして学んだことをひとつ。ギャンブルは賭けつづけたら必ず負けるから、動かずに「見る」ってことも大切。ここが動きどころだって思ったら寝る間を惜しんで動く。そのメリハリだから、周りを見て焦ったりせず、自分のペースでやったら大丈夫。
 
  ありがとうございました。
 
写真左から、元晴氏、執筆者の上原章氏
 
 
※ 元晴氏が使用している楽器の紹介ページは以下をご覧ください。
〈ユリウス・カイルヴェルト〉” SX90R SHADOW

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