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ブランドの歴史



1842

ベルギーの音楽家で楽器職人でもあったアドルフ・サックスが、自身の発明したサクソフォーンをパリに持ち込みました。この楽器が彼に富と名声をもたらすものだと確信したサックスは、すぐに偉大な作曲家ベルリオーズを探し出しました。しかし若いサックスは、予想外の冷たい反応に落胆したのです…翌日の新聞の記事を見つけだすまでは――。 そこには、サクソフォーンの「変幻自在の音色の美しさ」、「多様な表現の可能性」を熱狂的に支持するベルリオーズの記事が高々と掲載されていました。


1873

のちに成功を収める木管楽器ブランド〈ユリウス・カイルヴェルト〉の創設者である、ヨハン・バプティスト・カイルヴェルトがこの世に生を受けました。この時代、サクソフォーンは未だ発達途中の楽器でした。


1903

ヨハン・バプティスト・カイルヴェルトは、グラスリッツの木管楽器職人フィンツェンツ・リードルに弟子入りしました。


1908

ヨハン・バプティストはズデーテン地方(現在のチェコ共和国の一部)の木管楽器職人、フランツ・ザンのもとに移りました。 この地方の美しい渓谷は“Klingende Taeler”(共鳴する谷)と呼ばれ、様々な種類の楽器ブランドの発祥の地でもありました。 ヴァイオリン、ホルン、木管楽器、ハーモニカ、アコーディオン、そして玩具までもがこの地で多く生産されていたのです。


1914

ヨハンの息子、ユリウス・カイルヴェルト(1894-1962)は、1900年にサクソフォーンの製造をいち早く始めた〈V. F. Kohlert& Sons〉で働き始めました。 第一次世界大戦の兵役後、彼はクラリネットの製造職人フレデリック・シマーのもとで、楽器の製造に携わりました。


1920

ヨハン・バプティストは、自営業でのクラリネット製作を開始しました。彼の四人の息子、ヨーゼフ、リヒャルト、ユリウス、マックスもまた木管楽器製造の技術を学んでいます。ユリウス・カイルヴェルトは、マルクノイキルヒェンでサクソフォーンを製造していた、アドラーから得た部品でサクソフォーンを組み立てる仕事を請け負っていました。


1925

この年、〈ユリウス・カイルヴェルト〉ブランドが設立されました。質の高い製品は大成功をおさめ、1930年にはグラスリッツに新しい工場と自宅を建設しました。1937年まで猛威を振るった経済大恐慌にもかかわらず、〈ユリウス・カイルヴェルト〉は事業を拡大し続けました。


1938

〈ユリウス・カイルヴェルト〉の工場はドイツ最大のサクソフォーン製造工場となり、雇用者は150人にものぼりました。記録では、2024本のサクソフォーンが22の国に輸出されています。


1945

第二次世界大戦のドイツ敗戦により、旧チェコスロヴァキアに居住していたドイツ人は、土地も家も奪われ強制的にズデーテン地方からドイツへと追放されました。歴史上最大級の民族移動ともいえる、1600万人もの難民が事実上何の通達もなしに、手で持てるだけの所持品のみを持ち、住み慣れた地を去る事を余儀なくされたのです。非常に困難な時代で、もともとドイツに住んでいた住人はすでに飢え、おびえきっており、自国へ流れ込んだ難民達に強い拒否を示したのです。 ドイツ人難民達は、まず居住区が必要でした。家族が再び集い、職人達がお互いを探し出し、そして楽器製造を再開するための工場を立ち上げる過程の前には、安定を取り戻さなければなりませんでした。 いくつかの楽器製造会社は、バイエルン州に設立されました。しかし多くはフランクフルトの近くのナウハイムに集中していました。 またこの影響で楽器産業は、イギリス、スウェーデン、オーストリアにも派生したのです。


1946

ユリウス・カイルヴェルトとその一家はナウハイムに移住しました。まず楽器の修理業を始めるにあたり、パン屋の洗面所を仮の作業場としました。 〈ユリウス・カイルヴェルト〉は、新しく1947年1月19日に登記され、その2年後には新しい工場と自宅が建設されました。約80人の職人がこの新しい施設で働いていましたが、そのうちのほとんどはグラスリッツ時代からの古い雇用人たちでした。 ここでは、サクソフォーン、トランペット、トロンボーンが生産され、またあらゆる管楽器の修理も行なわれていました。


1962

会社を創立したユリウス・カイルヴェルトが68歳で死去しました。グラスリッツの音楽学校で学び、木管楽器製造の技術を父の工場で習得した息子のヨーゼフが、〈ユリウス・カイルヴェルト〉ブランドの後継者となりました。


1965

〈ユリウス・カイルヴェルト〉は、アメリカの演奏家、作曲家、そして楽器製造販売者でもあったハーブ・コーフとの提携を始めました。ハーブとヨーゼフ・カイルヴェルトは、この後1987年まで続く同意書にサインをし、これにより〈ユリウス・カイルヴェルト〉は、米国市場向けに設計された仕様のサクソフォーンを〈ハーブ・コーフ〉のために製造しました。 これらのモデルは“H. Couf Superba I”、“Superba II”、そして“Royalist”として現在でも知られています。 数年のうちに〈ユリウス・カイルヴェルト〉のサクソフォーンは、最高峰の楽器として奏者達に認識されるまでとなり、1965年には5万本目となるサクソフォーンが販売されました。 その後1970年には〈ユリウス・カイルヴェルト〉は、サクソフォーン製造に特化したブランドとなりました。


1982

この年ヨーゼフ・カイルヴェルトが死去し、娘のクリスタと長男ゲルハルトが経営を引き継ぎました。もう一人の息子のヨッヘンは、経営管理学を学んだ後に〈ユリウス・カイルヴェルト〉に加わりました。


1989

〈ユリウス・カイルヴェルト〉はブージー・アンド・ホークス・グループの一部となり、ヨーゼフの二人の息子 ゲルハルトとヨッヘンの下、40人の職人が働いていました。 この年には“SX90R ”サクソフォーンが市場に紹介されました。


1996

〈ユリウス・カイルヴェルト〉“SX90R”テナー・サクソフォーンが、ドイツで最も権威ある音楽誌、FACHBLATT誌の読者投票「最も愛された木管楽器」部門において、一位を獲得しました。


1997

アメリカ ジョージア州アトランタで開催されたIAJE (InternationalAssociation of Jazz Educators)において〈ユリウス・カイルヴェルト〉のサクソフォーン・セクションがデビューしました。このセクションでは、マイク・スミス、デイヴ・リーブマン、アーニー・ワッツ、そしてニック・ブリグノラらが輝かしいパフォーマンスを披露しました。


2003

〈ユリウス・カイルヴェルト〉は、〈ビュッフェ・クランポン〉、〈ベッソン〉、〈ヴェンツェル・シュライバー〉などの、伝統あるブランドと共にThe Music Groupの一員となりました。 多彩なラインナップからなる〈ユリウス・カイルヴェルト〉のサクソフォーンは、世界的に著名なジャズ奏者達と共同研究を重ね、ナウハイムおよびマルクノイキルヒェンで進化を続けてきました。


2010

ビュッフェ・クランポン・グループは、〈ユリウス・カイルヴェルト〉ブランドおよび、マルクノイキルヒェンの工場を買収しました。この提携により、21世紀におけるこのブランドの生産的で豊かな未来が、さらに確実なものとなりました。


2012

この年、新たにグループ名を“ビュッフェ・グループ” へと変更しました。 これは、“管楽器における世界的象徴”という方向性のもと、それぞれのブランドが一つに集結した証なのです。


2015

2015

「永遠の情熱」と「革新への挑戦」。 2015年、〈ユリウス・カイルヴェルト〉は90周年を迎えます。

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